ソラくんと転校生の様子がおかしいことを気にかけ、声をかけてきてくれたクラスメートのポンちゃん。
人前で話せないソラくんに「手紙で事情を話して」と促します。
しかし、ソラくんは気が重く、なかなか思いきることができません。
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クラスの一員として認められている
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話すことができなくてもクラスの一員としての存在を確立させることが大事
ソラくんは自己肯定感が低く、みんなと話せない自分を「いてもいなくてもよい存在だと思われている」と考えていました。
私自身、場面緘黙とはまた別のことで教師から連日のお叱りを受けていたので、次第に「自分はダメな人間」と思うようになっていきました。
厄介なのは、数人の男子が私のある行動(教師の怒りを誘発するもの)を発見すると、それを逐一報告すること。
教師が鬼の形相で迫ってくるあの瞬間の緊張感といったら、筆舌に尽くしがたいものがあります。
今でも思い出すと胸にこみあげてくるものがあって(悪い意味で)、出来ることなら記憶から葬り去りたい(笑)。
しかし、学年が変わって担任が新しくなると、この過酷な日々もようやく終わりを迎えることになりました。
まだ二十代半ばくらいの男の先生だったんですが、この先生は私のある行動に対して「いいんだよ、やめなくても」と言うんです。
最初は意味が分かりませんでした。
二年間怒られ続け、みんなと同じくできない自分を責め続けてきたのに、今度はそれをやめなくてもいいと言うんですから。
本当に理解が追い付かず、しばらくは疑心暗鬼になっていました。
![ティナ](https://cafemaro-sosena.com/kanmoku/wp-content/uploads/2023/05/wp-16844825006488014688597050030539-e1684482736322.png)
前の担任とグルなんじゃないか。私がまだやめてないことを確認して告げ口するんじゃないか…と(笑)
しかし、心配していたようなことはなにも起こらず、ようやく私はありのままの自分で生きていくことを許されました。
もう、「ある行動」ってなに?!
って思ってしまいますよね。
ナイショです♡
時代的な偏見(あるいは迷信)なので「当時はこういう考えを持っている大人が多くいた」とだけ申しておきます。
だから、なにもこのときの教師が「イカれていた」というわけではないのでご安心を。
新しい担任の先生は、情操教育にも力を入れている先生でした。
お昼休みは子供たちに混ざって鬼ごっこ、休みの日はグループごとに自宅に招いて、当時珍しかったコンピュータゲームをやらせてくれたり。
私自身はは集団が苦手なのでいつも一人教室に残って絵を描いたりしていたのですが、先生は必ず声をかけてくれるので、次第に集団の輪に混ざる機会が増えていきました。
こういう環境が当たり前になるにつれ、私自身「これだけは誰にも負けない」というものがいくつか見つかって、周りからも「〇〇といったらティナちゃん」と認められるようになっていきました。
当時の文集を見ると、どういうわけか「友達になりたい人」や「人気がある人」のランキングに私の名前も入っていたりするのでビックリ(笑)。
話すことはできませんでしたが、自己肯定感が著しく下がるようなことはなく、小学校6年間で一番「ありのままの自分で認められた」1年だったと思います。
子供がどんな逆境の中でも自分を肯定し、ありのままで生きていける。
そういう環境を作っていくのってつくづく大事ですね!