ブラックフライデー開催

エゴをスルーする

場面緘黙症ソラくんのせかい

前回、ソラくんからもらった手紙を読んだ転校生は、ソラくんがエゴ(コア)と対話しているのを知って驚きました。

なぜなら、自分の中にもコアのような心の声があり、自分から切り離して考えられるようになるまでにはかなりの時間を要したから。

ソラくんの力になりたいと思っている転校生。

どんなアドバイスをするのでしょうか?

◎前回のお話はこちら↓↓

話せない!ソラくんのせかい臆病な性格を克服するカギ

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エゴをスルーする

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誰の中にでもいるもう1人の自分

中学生の頃に、E.L.カニグズバーグの「ぼくと〈ジョージ〉」という児童書を読んで衝撃を受けた経験があります。

控えめな主人公のベン少年と、ベンの中のもう1人の人格〈ジョージ〉の物語なのですが、ジョージの軽妙な語り口が小気味良くて、すごく惹かれるものがありました。

当時中学一年だった私は、まだ場面緘黙を克服できておらず、唯一の友人ともクラスが離れてしまいました。

誰とも話すことができず、居心地の悪さを感じていた私が向かう先はいつも図書室。

そこにいくと友人が待っていて、ようやくリラックスして過ごすことができるのでした。

人生の節目に読みたくなる本

「ぼくと〈ジョージ〉」にどうしてあんなに惹かれたのか?

おそらく孤独だったんでしょうね。

仲の良い子が誰もいない教室。

誰にも気にとめてもらえない教室。

心の中に〈ジョージ〉がいたらどんなに幸せだろう…。

無意識にそんなふうに思っていたんだと思います。

そして時は流れ、結婚してもなかなか子宝に恵まれずに悶々と過ごしていたとき。

図書館で本を借りて読むくらいしか楽しみがなくて、二週間に一回のペースで通っていました。

そこでふと、また「ぼくと〈ジョージ〉」が気になって手に取っていました。

中学生の頃とは読了感というか、感じ方が変わっていました。

なんていうんでしょう。

子供の頃はベンとかジョージにばかり意識が向いていたのに、大人になると「大人の動向」がやけに気になるというか…。

まあ色々と。

大人って自分たちの都合のいいように持っていきやがるなぁ〜なんて(笑)。

心に根ざすインパクト

まあそんなわけで、カニグズバーグ女史の「ぼくと〈ジョージ〉」は人生のつらい時期に出会った本ということもあって、私の潜在意識に深く刻み込まれてしまったようです。

ソラくんの物語を描き始めた時も、気がついたら〈ジョージ〉によく似た「コア」というキャラクターが当たり前のようにデジタル画面を陣取っていました。

しかも、「自分はコアだ」と自己主張してくる。

こんなふうに直感に近い形でキャラクターが現れることもそうそうないと思うので、コアがやりたいように、私はただの代弁者の立ち位置でペンを動かしていけたらと思います。