転校生の家での楽しいひとときを経て、現実(学校)に戻ったソラくん。
学校でも転校生はソラくんに温かく接してくれ、そのおかげもあってイジワル組のAくんBくんとも仲良くなれます。
しかし、コアはこの現状を受け入れられず…
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話せない!ソラくんのせかい理想と現実のギャップ
理想の中ではいつだって人気者。でも現実は…
場面緘黙児の頭の中を覗いたら、ほぼほぼみんなが「類を見ない超絶人気者」になっているはず。
現実が「不安」「劣等感」「恐怖心」で埋め尽くされているぶん、想像の翼は縦横無尽に躍動し、なんならその人気で世界の危機を救うようなところまで行っているかもしれない!
実際の私がそうでした。
ひまさえあればもの想いにふけり、時間も忘れて空想ごっこ。
学校では毎日大好きな絵を描き、授業中でも気がつくと空想の世界に入って抜け出せなくなることがありました。
のめり込みすぎて学校にいることを忘れ、ハッと我に返って怖くなることも…
想像の時間はすごく楽しく、現実世界でも自分が正義のヒロインになったような気分でいましたが、徐々に現実が空想を侵食していって、気がつくとそこにいるのはチビで痩せっぽちで運動も勉強もできない臆病な自分だけ。
この落差…。
なんでなんだよ!
と毎日のように落ち込んでいました。
転校生のおかげで、喋れないながらにも毎日が楽しくなり始めたソラくんですが、そうなると今度は「喋れない」という現実が重くのしかかってきます。
「どうして自分なんだ」
このセリフには、
「こんな運命、好きで選んでいるんじゃない」
という他責思考を含ませています。
というのも、場面緘黙児の場合、ごく幼少期に発症するケースが多く、自分でも理解できないままにこういう状況に陥っている子が多いから。
ある程度大きくなってくると、
「あの時のあれが原因かな」
「あの時こうしていればこうならなかったかもしれない」
と考える自責思考のほうが強くなっていきますが、家では普通に話せるという現実がある分、多くの子どもたちは運命論的な考えが心の奥深くにひっそりと根差しているんじゃないでしょうか。
実際私がそう。
場面緘黙症で人生の前半が辛さ一色だったのは運命だった。
なぜなら、自分と同じような苦しみのなかにある人に生きやすく生きるメッセージを送る必要があったから。
そのために、ずっと自分自分自分…と自分が傷つくことに人一倍敏感になって苦しみを記録してきた。
そうだ。
記録だよ。
ただ記録していただけ。
だからここからは、「自分」から「他人」にシフトチェンジして、他人の痛みに敏感になれるようにしよう!
…みたいなね(笑)
ちょっと半分冗談ですが、こういうふうに考えられるようになると、
「ふ〜ん。人生ってなかなかおもしろいじゃないか」
と思える瞬間も増えていきます。
現に、今私は幸せですからね♡